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〝はじめて絵本に触れる子供たちへ〟 〝ふたたび絵本に出会う大人たちへ〟 ブログ主【えるまー。】が、 主観でレビューしていきます! 一味違う視点で絵本をお探しの方は、 是非いちど記事をご覧ください。
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“人生で一番大事な日は2つある
  生まれた日と、なぜ生まれたかわかった日だ”


トム・ソーヤの冒険著者であり、現代のアメリカ文学に
大きな影響を与えたと言われる作家。

この格言が好きなのは、生まれた日を
大事な日と表現したこと。
【生まれた瞬間から、カウントダウンは始まってる】
と悲観した格言を知っているので、
その点で好感が持てるw

そして、それぞれ見つけるであろう
なぜ生まれたのか知る日。
これについては色々な捉え方ができるかな、
【その日を探しなさい】もしくは
【生まれた理由に人生を捧げなさい】
どうでしょうか?

自分は息子ができて
自分のために人生を使っていた期間は
生まれてきたごほうびで
息子が生まれてからは
家族に尽くす気で過ごしてきた。つもり…
なので、私には後者の解釈がしっくりくる。
やっぱり、なんで生まれたのかがある程度
明確にできると、
人間の本来の力が出る気がする。
脳ミソをフル稼働させ、
体がオーバーヒートする。
速すぎて景色がボヤけていても
足は勝手に前へ、
生きてるなぁーって
実感しますんで。



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“人生とは自転車のようなものだ
   倒れないようにするには走らなければならない”


相対性理論を発表し一躍有名に。
実は根が真面目で、発明ほどのユニークさを
持ち合わせていなかったとか。
この有名な写真も、
色々な都市伝説的な憶測があるものの
記者に笑顔の写真を頼まれ笑いそうになり
思わずおどけて見せた写真だそうw
Σp[【◎】]ω・´)

そうですねwその通りだと思いますよ。
やっぱり、
布団で寝るにしろ
風呂で寛ぐにしろ
時間は消費しますもんね。
どんな時にも思考を止めちゃいけないと
そういう事なんでしょうか。

ゆっくりでも速くでも
走ることすなわち生きようともがくこと
あまりに平和で走る必要を見いだせないと
命の大切さも忘れてしまう、
そんな警告にも聞こえてしまいます。



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“これは自分にふさわしくないと思ったとき、
  人は難しい判断を迫られますが
    自分の本能を信じなくてはいけないのです”



レコード10億枚売り上げた、キングオブポップ。

熱烈に彼を好きな訳ではないのですが、
歌と躍りを武器に本気で意思を伝える姿勢は
言葉さえ越えてしまうものだなと感じます。

そんな彼も、
自分の才能に悩むことがあったんですね。

この言葉はすごく人間的で好きです。
皆さんは感じたことありませんか?
「オレなにやってんだろ…」
「オレに何の価値があるのか…」
私はしょっちゅうですw

確かに、考えて答えは出ないし
でも波のように寄せては返す不安。
最終的に信じるべきは
自分そのもの。
答えがない以上、自分を信じ
やれると強く願う姿勢が
再び立ち上がる力になるのかもしれません。
かのマイケルですら、そんな悩みと
戦っていたんですね。



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“夢をかなえる秘訣は、4つの「C」に集約される。
 それは、
  「Curiosity – 好奇心」
   「Confidence – 自信」
    「Courage – 勇気」
     そして「Constancyー 継続」である。”



アメリカ合衆国のアニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、声優、実業家、エンターテイナー。ミッキーマウスの生みのおや。

確信をついた言葉で、たくさんの夢をうみだした人でも
やっぱり【持続】を念頭に活動していたのだと
共感できた。

継続は力なり







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“明日死ぬかにように生きよ
   永遠に生きるかのように学べ”


弁護士であり宗教家、政治指導者である。
インド独立の父。


個人的に、時間に関してというよりは、
その人が何を思い毎日を過ごすか
その事について説いたと思っている。

明日死ぬとは、なんとも大袈裟。
でも無駄に過ごしている人にとって
(私とかw)そのぐらいの叱咤がないと、
気持ちが揺れないのを知っているんですね。

それに学べとは、けして知識だけじゃない。
本気で生きようとすると、自ずと
脳ミソが熱くなりますよ♪

せっかく考える力があるんだから、
人生を駆け抜けて有意義なものにしよう!



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“勇気と節操を持っている人は
    他の人から見るといつだって
        非常に気味の悪いものさ”

文学者であり詩人。
天才であるがため、一般的で
認められづらいことなどを、自らの経験と
あわせて執筆している。


この言葉は、受け取る側の思想や性格に
大きく変化が現れるのでは?

私の場合は、こう捉えた。

普段よりほとんど怒りの感情を表に出さず
(我慢ではなく、損だと考えるため)
マイペースに穏やかである。
どんな忙しくストレスのかかる状況下でもだ。
そのため、しばしばやる気のなさと結び付けられ
損をする場面がある。

この句を見ていると、そんなことが
ダブって思い起こされる。

ヘッセ自身、自分の特異な性質に
周りからはさぞ冷ややかであったのだろう。
あえて言葉で残した背景には
いろんな人間がいても良いじゃないかと、
変わり者よその性質を大事にしなさいと、
そう言いたかったのではんじだろうか。





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q“貧しさは
  貧しいと感じるところにある”




アメリカ・ボストンの哲学者であり、作家。

その通りと思いますよw
ホントに、貧乏でも幸せな家庭は
あるものです。

大切なのは、
お金の価値を知ったうえで
自分にそれ以上の価値を見出だそうとずる努力と
その過程にこそ価値があることを
知っている事でしょうか。



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〝絶望するな
たとえ絶望したとしても
絶望のうちに働き続けろ〟




アイルランドに生まれ、
イギリスで政治思想家、哲学者となる。
保守主義の父として知られる。

〝保守主義〟とはなんぞや?
そうですね
政治に対する思想や哲学
考え方です。
現代に生きる人が理解するには
ちゃんと勉強が必要な内容でしたw

そもそも、〝保守主義〟も内容が
明確ではなく、
大きく3つに分けられるそう。

パークさんは伝統保守、
文化や宗教を大切にした上で
政治を行うというのを提唱したわけですな。

格言も、かなり力強い内容
ただ一利ありますね、
人生も時間も止まらないなら
足を止めるヒマないでしょ?
みたいな事なんでしょうか…



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〝そうか、
強くなるっていうことはわかることか。
わからないからこわいんだね。〟

【ぼのぼの】より、フェネギーのセリフ。

これはどんな場面にも
当てはまりますよね。

受験だったら、勉強したぶん
自信がつくし。

はじめての幼稚園だったら、門を
くぐれば楽しいこといっぱい!

意外と的を得てるひと言ですねw


初めての



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〝どうだ。静かなところだろ。
静かなところにくると、
自分も静かになるもんさ。〟

スナドリネコさん、あまりに先を
行きすぎて理解できないコトがありますw

そんなセリフの中、これは納得。
たぶんこの〝静か〟って、
特別な意味がある気がします。

私もよく思うんですよ、
人がいるところに静寂はないなって。

エレベーターの中

残業中の職場

寝つけない夜

私はそんな状況を〝静寂〟ではなく
〝無音〟なのだと感じてます。

少し前までは、人が入っていない
山の奥でテントを張ったりするほど、
自然の中で過ごす時間を大切にしてました。
(家庭を持ってからは行けていませんw)

あの〝静寂〟、体を委ねると
とっても力が抜けて、その静けさに
うっとりしてしまうんです。

スナドリネコさんは、そんな素敵な
〝静かなところ〟を上手く表現
したかったんでしょう。

〝静か〟というフレーズに
とても深い意味を持たせていると
私は感じましたよ♪



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〝我思う
故に我あり〟






すごくイケメンですね♡
ごめんなさい、
本気で怒られそうなので早速本題へ。

今までは、あくまでサブ記事として
格言を紹介してきましたが
今回から、自分なりに
読み解いてみたいと思います。

ホンキ説明のページは
いっぱい溢れているので

一般人が考えると…

をテーマに。



あまり調べまわると
自論でなくなりそうなので、
ネットと図書館で
生前の動きと時代背景だけ
見てきました。

感想として、この言葉は
言葉通り素直に受け取るべき
と思いました。


格言につきものなのが
『この言葉のウラには』
『本当はコレを伝えたい』
という、
思想家それぞれの
格言をめぐる意見の相違。
この格言についても
過去の思想家で
〝我思う=頭を働かせ考える事〟
と捉えた人の解釈もあったようですが
デカルトさん本人は説明の際
〝我思う=私を認識する〟
と説いている記述が残っているとか。

かみ砕いて言い直せば
〝私が私を認識しているのなら
私がここにいる証明といえる〟

となるんでしょうか。
(あくまで、私が解釈した場合ですw)

すると、人間以外の動物は
除外されそうですね。
悩みを抱える能力を持っている
人間特有な内容です。


現代で考えると
引きこもってしまう
人の心境なんてどうでしょう。

『誰もオレの存在なんて
興味持ってないよ』

と悲観したとしても
ウラを返せばこの人、
自分自身はそこにいると
知っているんですよね。
なので

『誰もオレの存在なんて
興味持ってないけど
オレは興味ある』

と言い換えれると思うんです。
それにある記号を加えると
文章は一緒でも

『誰もオレの存在なんて
興味持ってないけど
オレは興味ある!』

と、
なんと前向きな!

環境や境遇により、
孤独に感じてしまう人はいるはず。
しかし、デカルトの説いた

〝我思う
故に我あり〟

とはすなわち、

〝自己を信じなさい
その可能性を開花させ
周りへ発信しなさい!〟

ではないかと結論付けました。

私は今でこそ、パパと呼ばれ
1人の存在の大きさを実感する毎日を
過ごしています。

でも、1人で実家暮らしをしていた時は
自分が周りに影響を与えるなんて
ましてそんな環境へ飛び込むなんて
考えもしませんでした。

自分が存在する証明をしてくれるのは
自分を開花させる勇気だけなのですね。







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〝家に勝るところなんてないわ〟
(There’s no place like home.)




(Morgan Spenceさん作品)


ほんとドロシーって、どんどん現れる
キャラクターに振り回されても
文句ひとつ言いませんよね(=ω=;)
とくにオズのオッサン…

そんなドロシーが、
我が家に戻ってきて最後に一言。

これはドロシーだからこそ深いです、
どんな頑張り屋さんも
息抜きは必要ということでしょうかw



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〝生きるために食べよ
食べるために生きるな〟





紀元前という遠い過去のはずが
とても新鮮なコトバ。

他の方で、深読みしすぎて
『娯楽に溺れるな』
と解釈されている人が
いました(; ̄Д ̄)

ソクラテスさんは、とにかく
直球な言葉が多いので
感じたまま受け取るのが
ベターでしょう。

〝生きるために食べよ〟
は置いといて、
〝食べるために生きるな〟とは

生きるための作業である〝食べる〟を
生きる目的にしてはいけない、
そういった捉え方で良いと思います。
これは現代に響く言葉ですね(=ω=;)

〝食べる〟という生きる手段
そのために働く、
それを人生の目的にしてはいけない
そういう事でしょうか。

そうすると
〝生きるために食べよ〟が明確に
なってきます。
〝生きる〟とは心の状態かと、
いくら命があろうと
心が生きていなければ意味がない。
情熱を燃やすために〝食べ〟なさい
そういう、忙しさにかまけている
思考停止状態、
食う→寝る→稼ぐ→食う
のスパイラルから抜け出しなさいと
時を超え教えてくれているように
思えてなりません。




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〝なにごとにも教訓はありますよ
問題はただ
それを見つけるかどうか
ということよ〟




不思議の国のアリスより
醜い公爵夫人のセリフ。

もともと教訓好きで、
何事にも教訓を見出そうとする。
そんな彼女だからこそ見出せる名言。

私が勝手にこれを名言と
捉えているだけなんですが、
彼女の存在は立て看板のように
たくさんの人を
迷いから救うと思います。

どの場面にも教訓はある、
そしてその教訓を見つけられるのは
その場にいる人だけです。

もしその人が、
自力でその場を切り抜けたのなら
公爵夫人の言う通り
教訓を見出すべきでしょう。
後からきた人が、
迷わず進めるようにね!






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みなさん、
〝ハリネズミのジレンマ〟
聞いたことありませんか?
人の距離感の表現なのですが…

実は間違っているようです(;OдO)

ネットで何の気なしに調べていると
〝ヤマアラシのジレンマ〟
〝ハリネズミのジレンマ〟
どちらも同じ内容を指しています。

名前にハリとついているぶん、
ハリネズミのほうが
しっくりくるのだと思います。
それに映像ですぐに浮かびますし



いま、『どっちでも…』
と思ったあなた

どっちでもよくないんです!
この両者はまったく違う生物なんです。


《生物学的な違いとは》
ハリネズミ




ヤマアラシ




違いを説明。

ハリネズミのハリは短く、
臆病で防衛的です。

ヤマアラシのハリは長く、
強気で攻撃的なんです。


せっかくなのでヤマアラシについて
もう少し掘り下げてみますね。

ヤマアラシは、まず
長いハリの擦れる音で威嚇します。
その独特な音が、名前の由来。

怯まない相手には痛いオシオキ(σ≧∀≦)σ
といっても、お仕置きにしては
とんでもない威力だそうですが…
というのも、
あのライオンすら追い払います、
刺さる場所が悪いと致命傷にもなるとか。
さらに怖いのが、刺さると抜けて
あいてにハリを残します
残ったハリが感染症を起こし
死に至ると…


《言葉のルーツ》
では〝ヤマアラシのジレンマ〟
どこで生まれた言葉なのか。

ドイツの哲学者ショーペンハウエルの
寓話から生まれ、
のちに精神科医フロイトが取り上げた
事により広まった人間関係の例え。

お互いが惹かれ近付くものの、
傷つけ合うばかりで離れゆく
離れすぎては疎遠になってしまうため
再び同じように近付き傷つけ合う。
そうこうしているうちに、
2人が心地よく居られる距離感を知る
といった内容。


《〝ハリネズミのジレンマ〟が
一般に広まったわけ》
みなさんお馴染み
【新世紀エヴァンゲリオン】の4話で
家出をした主人公(シンジ)について
相談するミサトに対し
リツコが例え話で出すのが
〝ヤマアラシのジレンマ〟です。

アニメを見て知った人も多いはず。
でも作中一度もハリネズミは
出てきません。

では何故?

私、ついにたどり着きました
〝ハリネズミのジレンマ〟の真実!

4話のサブタイトルに答えがありました
【Hedgehog's Dilemma】はい、
ハリネズミのジレンマですね。

Hedgehogとはハリネズミ、
porcupineがヤマアラシです。
わかりやすくするためか、
表記の際間違えたのかは謎ですが。
ここから広まったのには
間違いなさそうです。


《まとめ》
普段の表現では、むしろ
〝ハリネズミのジレンマ〟が
伝わりやすいのかも。


ただ、ブログなどで間違って使い
熱く語っている方を見ると…
ちょっとイタイですw
使う際はご注意を。




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〝私たちの疲労は
仕事によって生じたのではなく
悩み、挫折、後悔が
原因となっていることが多い〟





デール・ブレッケンリッジ・カーネギー、
アメリカ・ミズーリ州出身の実業家。
また自己啓発作家、ビジネスセミナー講師として有名。
著書【人を動かす】は、
言わずと知れた
現代人(私も含め)にとっても
バイブル的存在。

【人を動かす】については
別の記事で書きたいと思います。


どうでしょう、名言というか
的を得た表現という感じました。

カーネギーさんの言葉(名言と
いわれるもの)は、日常のふとした
一言みたいな柔らかさを感じます。
私も漠然としかわかっていませんが、

『悩んでる?散歩しなよ』

『絶望した時は何かに打ち込もう』

といった、教訓よりアドバイスを
大事にした内容が多いですね。

友達が片手間に
相談に答えたような内容ですが、
カーネギーさんだからこそ
その言葉に勇気が出たりします。

なぜ、カーネギーさんは
癒し系名言ともいえる言葉を
いくつも残したのでしょうか?


毎回お断りとしてお知らせしますが
完全に私の主観ですよw

カーネギーさんは
ビジネスセミナーの講師で
自己啓発の先駆者と言われますが、
きっとその内容は
『わかるけど…、わかるんだけど
実践が難しいんだよね』
そんな悩みはつきもの。
私も、社会哲学の書籍に
背中を何度も押してもらえた1人ですが
しばしば
『ちょっと待って、そんないっぺんに
出来そうにないかも…』
なんて弱気になりますw

確かに、真っ白な状態で
そういった書籍の教訓や習慣を
実践するのは難しくありまでん。

でも皆が悲鳴をあげる理由として
日常の
やらなくてはいけない事を続けながら
さらに新しい試みや日課を実践する
まさに荒業…

と、私は感じています。
(もしかして私だけですか?w)

ただ、カーネギーさんは
そういった荒業的教訓の中にも
シンプルな癒し言葉を
散りばめたのではないでしょうか?



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〝安心って言うのは
車の後部座席で眠ることさ。
前の席には両親がいて、
心配事はなにもない。
でもね、
ある時、その安心は
消え去ってしまうんだ。
君が
前の席にいかなきゃならなくなるんだよ。
そしてもういない両親の代わりに、
君が誰かを安心させる側になるんだ。〟

スヌーピーでお馴染み、
ちょび毛のチャーリー・ブラウンです。
彼は恐ろしく哲学的な部分があります。
今回はそのうちの一説。

スヌーピーはキャラクターで
描かれる作品の題名は
【ピーナッツ】だって、
みんな知っていますか?

さて、チャーリー・ブラウンの
なんともわかりやすく
なんとも響く言葉。

親として奮闘している人(私)にとっては
励ましであり叱咤であると感じました。

世の中には、残念ながら
親や大人の自覚がない人が多すぎる…。

我々を、大人まで育ててくれた親や社会。
今度は我々が大人として
子どもが安心して過ごせる世界を
作っていかなくちゃ!



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〝この手はいつか
偉大なことを成し遂げるかもしれない
この手はいつか
驚くべき仕事をするかもしれない

橋を架けたり
病人を治したり
ホームランを打ったり
魂を揺さぶるような
小説を書いたりするんだ

この手はいつか
運命を変えるかもしれないんだ〟





ブラウン、何があった!?w
とんでもなく力強く、
そして言い聞かせるような語り調。

自分を信じるのって、結局は
結果のわからない未来の自分を
無条件で信じること。
それって他人を信じるのと同じくらい
難しいですよね。

もしかしたら、ブラウンは
大切な分岐点に立っているのかも。
誰もに住み着いている〝弱虫〟
そいつを黙らせるのは
ブラウンみたいな
根拠のない確信なのかもしれませんね。



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